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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第4節 女心 [2]




 思えば彼は、母の職業を知っても嫌な顔などしなかった。
 教頭の浜島(はまじま)などは、その話題が出るたびに露骨に顔をしかめる。嫌ならば口にしなければよいものを、事あるごとにそれをネタにしてイビってくる。もううんざりだ。
 だが、彼は違った。
 霞流家の人々も、母の存在にそれほど嫌悪を感じてはいなかったようだ。
 あれほどの金持ちならば体裁も気になろう。水商売の女を居候させるコトに抵抗は感じてもおかしくはない。
 だが、霞流家は違った。
 そうだ。霞流慎二も、彼を育てた霞流家も、唐渓に通う盆暗(ぼんくら)どもとはまったく違う。
 そう言い聞かせると、なぜだか気分が高揚する。
 あの時、その指が微かに金具に触れた。瞬間、聡が脳裏に飛び出した。
 嫌なコトを思い出してしまった。
 苦いモノでも噛むように眉を潜めながら、半分は動揺する。
 あの時、聡の存在が現れなければ、私と霞流さんは―――
 その事実に恐怖を感じているのだろうか? それとも、期待しているのか?
 まさかっ
 慌てて否定しながら、なんとなく聡の存在に腹が立つのはなぜだろう?
 早鳴る胸にそっと落とす視界の端。
 ハッと息を呑む。素早く視線を走らせる。だが――――
 いない。
 見えたと思った薄茶色の髪の毛。だが視線の先には蒸し暑く、そして誰もいない冷たい景色。
 指で額を突く。
 また、幻―――
 霞流慎二の錯覚を見るのは、今が初めてではない。
 …………
 あれは、気紛れだったのだ。悪戯のようなモノだと、霞流さんも言っていた。
 でも………

「浴衣を着たあなたと風雅な(おもむき)に―――」

 霞流さん、女性が苦手だって言ってた。付き合った人も今までいないって……
 じゃあ、たとえ悪戯でも、あんなコトしたのって、ひょっとして私が初めてなのかな?

 私って、そんな気にさせちゃう人間?
 霞流さんにとって、そういう人間?

 背中がゾクッと波を打つ。だがそれは、不快ではない。
 これは期待?
 慌てて頭を強く振るも、湧いた想いを打ち消すことはできない。
 浴衣を着た私は、それなりにそれなりの存在になっていたというコトだろうか?
 ……………
 そんな感情が、果たして今の自分の内に、存在するのだろうか?
 甘い香りが、鼻をくすぐる。
 私は、霞流さんのことが好き―――― なのだろうか?





「そうやって身構える態度自体が、差別意識だと思わない?」
 ツバサの言葉に、横の少女は苦笑する。
「シロちゃんは、どう思う?」
「うーん」
 頬に人差し指を当てる仕草が、なんとも愛らしい。これで同じ歳だとは、とても思えない。
「でも、仕方ないと思うな。普通の人は、やっぱ身構えちゃうと思うよ」
「そうかしらん?」
「そもそも気軽に出入りする家でもないんだし、逆にそれだけ、マジメに考えてるってコトだよ」
「じゃあ何? 私はフマジメだってコト?」
 ズイッと顔を寄せると、シロちゃんは慌てて両手を振る。
「そんなコトは言ってないって」
 慌てる姿が猫のようで、同性のツバサですら抱きしめたくなってしまう。
 外に出れば、モテるんだろうな。
 この施設で生活する所以(ゆえん)を、詳しくは知らない。こうして会話をしている限りは明るく無垢な少女だが、きっと辛い背景があるのだろう。
 【唐草ハウス】に頼る子供は、そんな存在ばかりだ。
 自分に何ができるだろう?
 自問しながら通う毎日。
 お兄ちゃんは、何がしたかったのだろうか?
「行くだけで、役に立ってんじゃねーの?」
 明るく答える蔦の言葉が、嬉しくもあり恥ずかしくもある。
 自分は中にも入らないクセに。
 思わずクスッと、笑みが漏れる。
「どうしたの?」
 子犬のような目をクリクリさせて、シロちゃんがびっくりしたように覗き込む。







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